【eスポーツマガジン】格闘ゲーム人生を懸けて追い求めるもの MOV選手インタビュー Vol.1
【eスポーツマガジン】格闘ゲーム人生を懸けて追い求めるもの MOV選手インタビュー Vol.2
ーーそこから勝てるようになるまでというのは?
MOV:19年目の今も春麗が結局最強キャラなんですけど、その春麗に辿り着いたのが「3rd」発売2カ月くらいで、その頃から本当に強い人たちにはまだ勝てないけど、その辺の人たちにはいけるなって感じが出てきて。まあ春麗のおかげなんですけど(笑)。
ときどはユリアンがもっとえげつなくなっていって、トップ層に食い込み始めてきてっていうのが、中2の夏から秋とかですね。
中3の春に「3rd」の全国大会があったんですが、文化祭をサボってときどと2人で出て、運も良くて準優勝しまして。
それが超強い中学生の兄弟が現れたってインターネットで話題になって、そこからはもう、今とあまり変わらない(笑)。
ーーそこから有名プレイヤーの仲間入りをした感じで。
MOV:有名プレイヤーの先輩から説教も受けて(笑)。
ーーそれはどんなことで?
MOV:これ、酷い話なんですよ。「3rd」のゲームコミュニティは、優勝を争うようなチームでも罵声が飛び交い、煽り合っていて。倒すと「誰々帰れー」みたいな感じなんです。
それを見て、やっぱり強い人たち同士って仲が悪いんだなと思って。それで全国大会の3on3中、ぼくは見知らぬ大人たちを煽りまくって。「門限だから帰んなきゃいけないのに、また勝っちゃったー」みたいな感じで(笑)。
途中からは、誰かあのガキを殺せって雰囲気になって(笑)。
ー一完全にアウェイに(笑)。
MOV:表彰式が終わった後に主催者からちょっとこっちに来いって呼び出されて、泣くまで説教ですよ。メスターさんっていうんですけど。でもぼくはメスターさんが罵り合ってるのを見て、マネしただけなんですよ。
ーーその本人から説教を受けるっていう。「3rd」のコミュニティには中学生の頃から受け入れられる感じで。
MOV:そうですね。その全国大会で説教された後は、もう身内みたいな感じでしたね。
ーーそこから「3rd」 といえばMOVさんみたいな感じになっていく。
MOV:実力で最強だった時期もあると思うんですけど、控えめに言って。でも最強になっても、遠征勢が来たら「お前やっつけて来い」、「負けたらどうなるかわかってるんだろうな」って空気はありました。最強になってもまだ先鋒っていう(笑)。
ーー「3rd」 でそこまで行けたっていうのはどうしてだと思います?
MOV:同級生みんなを巻き込んで、狂ったようにやっていたので。全国大会で準優勝していなかったら、全然違う人生になってたかもしれないですけどね。
ーー高校で1度ゲームから離れたっていうのを何かで拝見したんですが、そのきっかけというのは。
MOV:きっかけは、『CAPCOM VS SNK2』 (以下、カプエス2)が出た頃って、やっぱり 「ウメヌキ」だったんですよ。「ウメヌキ」に勝てる奴はいないって感じで。
その頃自分は「カプエス2」を「3rd」が出た時ほどのモチベーションではプレイ出来ていなかったんですね。また1からどうやって勝つかを考えるのが大変だなって。
そんな中「カプエス2」も「3rd」1年目のような狂ったテンションで猛烈にできたときどくんが、ウメヌキに食い込んできているってなってきて。
ときどの方が格ゲーの才能あったのかな、あいつが頑張っているならいいかってなってしまって、フェードアウトしちゃったんですよ。自分は格ゲーでは大成出来なかったと思いながら。
でもよくよく考えると、ときどは「カプエス1」の頃からウメハラさんに連コインしていたので、お小遺いが多かったはずなんですよね(笑)。
ーーまず資金力の差が(笑)。その後ゲームに復帰するとなったのは?
MOV:大学1年の終わりぐらいに、高校で「3rd」を一緒にやっていた仲間から「闘劇」のDVDを借りて見たら、今こんな面白そうなことやっているんだとなって。
「3rd」なら友達と遊ぶくらいはやっていたし、戻ってみようかなと。それで復帰してみたら、思っていたよりも勝てて、準最強ぐらいには結構すぐなれたんです。それで「闘劇」に参加したのが2005年からですね。
2005年は優勝したウメヌキチームと2回戦で当たって、ウメハラさんは倒したんですけど、大貫さんにボコボコにされちゃいました。
それと同じ頃に、せっかくだから頑張ろうと思って「Evolution」 (以下、Evo)に出場したんですよ、当時「3rd」がメインタイトルだったので。今と比べたら、大会全体の規模は小さかったんですけどね。
その当時、格ゲーって少し後ろめたい趣味だったじゃないですか。それがアメリカだとこんなにも認められているんだと、そのとき感じましたね。
Justin Wong(アメリカの強豪プロゲーマー)クラスだと美女を連れているし(笑)。そのJustin Wongが負けた瞬間、廊下に外人が飛び出して「Justin Wongが負けた!」って電話をかけているんですよ。
ーーそれがもう大ニュースってことですよね。
MOV:その時に、格ゲーをやっていてもいいんだ、やっぱり一生懸命やろうって思いました。それで「Evo」から戻った後、真剣に取り組んだおかげで、次の年の「闘劇」は優勝できたんです。そこでようやくトラウマは解消されました(笑)。
ーー 一度はゲームから離れてしまったほどのトラウマが。
MOV:それまで「3rd」のコミュニティが続いてくれていたことがありがたいですよね。昔の格ゲーは消費が早かったですから。挫折したら二度とリベンジのチャンスが無くて、そういったトラウマを抱えたっきりの人が当時は全国にいたと思うので。
ーーその後は「3rd」の世界で名実共にトッププレイヤーとして君臨するわけですが、そこから現在までの流れというのはどういった感じでしょうか。
MOV:「3rd」の「闘劇」を初めて優勝したのが2006年で、その時にトラウマも解消されたことだし、格ゲーはこれで勝ち逃げしてもいいかなってほど満足しちゃったんです。
でもその頃、2006年から2007年にかけてクロダ君って奴と出会いまして、そこでまた自分の格ゲー観が大きく変わったんです。
ーーその出会いというのは?
MOV:最初に「要するにお前、自分のこと強いと思ってんだろう?」って言われて。「全然だから」、「勝ってるのは春麗だからだ」、「だってお前はサードの基本が何もできてないじゃないか」と、泣くまで説教されたんですよ(笑)。
ーーやっとトラウマから解放されたと思ったら……。
MOV:クロダっていうのは、弱いキャラを使ってたまに活躍して、取り巻きにチヤホヤされている変な奴だと思っていたんですけど、色眼鏡なしでプレイを見てみると、こいつは未来から来たのかなっていうぐらい全然次元の違うことをしているぞと気付いて。
彼は探究心が凄いんですよ。そこからは格ゲーのモチベーションが、優勝することからクロダみたいになりたいってなりまして。
ーーゲームを追求したいという。
MOV:なので『ストリートファイターⅣ』(以下、ストⅣ)が出た時の攻略も、世間の手っ取り早く勝つっていう風潮に流されず、自分でじっくりやろうと思って。かなり引きこもって地元のスーパーの2Fでずっとやっていましたね。 結局「ストⅣ」はそれだけで終わってしまったんですけど。
その後、自分は 「とき〇荘」 (MOVを中心としたゲーミングシェアハウス)を始めていたんですけど、「ウルトラストリートファイターⅣ」(以下、ウルⅣ)が出たタイミングで本気でやるかと思い、キャラも1回リセットして選び直して。
ーーそれはプロも意識してのってことだったんですか?
MOV:それは全然。1日でも早く追いつこうとして「ウルⅣ」をやっていたんですが、それから1年持たずに、その年のカプコンカップが最後になってしまって、「ストリートファイターⅤ」(以下、ストⅤ)が出ますって発表されて。実力はいよいよ追いついてきたっていう手応えがあったので、もう1年あればって感じだったんですが、活躍する場に間に合わなかった。
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